そうだ、京都行ったんだった(観光篇)
こんにちは、代打のルーペちゃんです。
本当は今日はペコちゃんの担当だったのですが、ペコちゃんが風邪で体調を崩してしまったのでルーペちゃんが書かせていただきます。
めっきり寒くなってきましたもんね~、晩秋ってやつですな。みなさんも体調にはお気をつけ下さいね。
では大好評の(自分で言う!)京都篇、今日は観光のことを。
●鶴屋吉信の生菓子制作実演
デパ地下でもおなじみ、鶴屋吉信さんの本店にやってきました。
こちらの2階で、職人さんが目の前で和菓子を作ってくれるのです。
華麗な手つきで餡をひねって丸めて伸ばして・・・
お抹茶と和菓子(制作実演)972円
関東では「練りきり」という名称が一般的ですが、京都では「こなし」というそうです。呼び名だけではなく、作業工程にも若干違いはあるそうです。
ちなみに語源は「作業をこなす」からだそう。何か奥深い由来があるのかと思ったら意外に身も蓋もない由来でした。
「綾錦」というこちらの生菓子、色合いにご注目。
「まだ紅葉のはしりやさかい、緑を多めにしてはります」(よく覚えていないので妄想京都弁で)
「もっと紅葉が進む時期には緑が少なく、赤が多なるんどす」(妄想京都弁)
「冬になったら白で雪ぃ降らせて終わりどす、ほなごめんやす?」(妄想京都弁)
ゆったりした席に移動して、ビルの2階に出現する京の坪庭を眺めながら、お抹茶と出来上がったばかりのお菓子をいただきます。はんなりしてはりますな~、えきぞちっく・じゃぱんやね?。
食べ物で季節を感じるのはさして珍しいことではありません。シチューやジビエを食べたりしても秋の訪れを感じられるものです。しかし、絵を描くように視覚的に食べ物で季節を表現するのは和菓子特有のものだと思います。
職人さんはあんなに緻密なものを作りながら口の方も滑らかで、興味深い話をたくさん聞かせてくれました。
京都案内を頼まれるたびにここに来るのでもう4回目だという友人いわく「この職人さんは話上手な人だから当たりだよ」と教えてくれました。そういえばどんな分野においても一流の人は話が上手いと言いますね、納得。
●永観堂禅林寺
拝観料600円
まだ10月の半ばということで紅葉はうっすら色づき始めたところでしたが、東山に近いこちらのお寺は場所によっては見事に紅葉していました。友人が言うにはこの狭い京都盆地でも、場所によって紅葉の時期にずいぶん差があるのだそう。東山の方は早くに紅葉が始まるので、この時期でも紅葉が見られるのです。
◯三鈷の松
境内のお土産屋さんをちらっと覗いたら、係の女性が熱心に説明してくれました。松は普通二股ですが、こちらには三叉に分かれる珍しい松があり、三鈷の松と呼ばれています。三鈷は「智慧」「慈悲」「まごころ」を表し、この松の葉を持っていると3つの福が授かるのだとか。
認めたくないけどいずれもルーペちゃんに著しく欠けている要素と言わざるをえません。もちろん頂いて帰りましたとも。ありがたやありがたや。
◯臥龍廊
山の斜面に沿って木を組み合わせて作られた階段と廊下です。龍の体の中を歩いているようなので「臥龍廊」といいます。急そうに見えますが意外と楽に登れます。実は人間工学に基づいた複雑な計算によって建てられているのかも。
こちらのご本尊は「見返り阿弥陀」と呼ばれる、首をかしげて振り向いている珍しい阿弥陀様。遅れる者=弱き者を待つという慈悲の姿を表しているそうです。
また、今プチブームが来ているらしい長谷川等伯の障壁画もあります。見どころの多いお寺です。
●無鄰菴
明治の元勲・山県有朋公の別邸。別邸でこのクォリティって、本宅はどんだけ?。
入場料:410円
仁王門通というかなり大きな通りが庭の外を通っておりますが、庭の深い緑が喧騒を吸い込んでいるかのように静寂を保っています。南禅寺界隈別荘群はほとんどが七代目小川治兵衛による作庭ですが、その特徴は東山を借景としていることと、琵琶湖疏水の水を利用していること。
こちらの庭も東山の景色をまるで庭の一部のように取り込んでおり、庭が果てしなく遠くまで続くような錯覚を覚えます。不思議な異空間です。
琵琶湖疏水からの流れを取り込んで滝や小川を再現し、そして流れは外へ。
苔もお見事!美しい!メジャーな観光地ではありませんが、その分ゆっくり静かに京都らしさを感じることができるスポットです。
●南禅寺
「絶景かな」の南禅寺三門。パノラマで撮影したらなんだか石鹸のような姿に。
永観堂も無鄰菴も南禅寺のすぐそばにあります。
「南禅寺水路閣」はやはり人気で、いい角度から写真を撮るには順番待ちが必要でした。
でもさすが絵になります。
今でこそ古びて”ええ感じ”になり周囲に溶け込んでいる水路ですが、古刹南禅寺の敷地内を堂々と通っていることに疑問を持ちませんか?
明治23年に完成したこの水路は、当初別のルートをたどるはずでした。しかし、予定地に天皇家ゆかりの土地があったため変更を余儀なくされたのです。それにしたって南禅寺は南禅寺で怒っただろうなあと思ったらやっぱりそうだったようで、こちらのサイトに当時の様子が詳しく解説されています。
今ではむしろお寺を凌ぐ人気スポット。
次回は観光の続き&京都の手仕事のご紹介を。。。
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