Dr.LOUPE Blog_

ドクタールーペスタッフ、ルーペちゃんがお届けする健康と生活にまつわるブログ

こどもが道をわたるとき

こんにちは、先日とうとう、いつもAmazonの荷物を届けてくれる

宅配便屋さんから「いつもありがとうございます」って

言われてしまったルーペちゃんです。

子供の頃は「大人になったら漫画なんか読まなくなるんだろうなー」

と無邪気に思っていましたが、40過ぎてもガッツリ読んでいる

私は、たぶん死ぬまで読むはずです。

さて、ルーペちゃんは娘の小学校で父母会の役員をしております。

何の係かというと、月に何度か旗を持って通学路の交差点に立つ、

昔でいうところの「緑のおばさん」をやっております。

最初は正直、「小学生にもなって、しかもこんな近所で、ほんとに必要なの?」

と思っておりました。

私立に通っている子なんか小学1年生からひとりでバス乗って電車乗って

ターミナル駅で乗り換えして、って毎日やってるんだし!

横断歩道のひとつくらい見守ったところで何か変わるのか!と。

ところが実際横断歩道に立ってみますと、ハラハラドキドキのしっぱなし。

「ぎゃっ危ない!」「何やってんの!」「信じられない!」の連発。

子供、特に低学年、そして特に男の子に、

一体何を考えて生きているんだと詰め寄りたくなるような

ふるまいが目につきます。

たとえば、

◎下を向いてまっすぐ歩いている最中、突然直角に曲がり、道を渡る。

(当然左右の安全確認などというものはしない)

◎横断歩道を友達とじゃれあいながら渡る。

(当然赤信号に変わったことに気づかない)

◎車道にはみ出して信号を待つ。

(当然信号が変わった瞬間、左右も見ずに突進する)

どうです、読んでいるだけで心臓が痛いでしょう。

「あー・・・これうちの子のあるあるだ・・・」

「運転中にこんな場面に遭った・・・」

なんて方々もいらっしゃるはず。

どんな近所でも、大人が見ているに越したことはないんですよね。

ただこれを、「親がちゃんとしつけしないからだ」

「学校が交通安全教育に力を入れないからだ」とは言えないんです。

まずひとつには、子供の視野の狭さがあります。

大人の視野は、垂直方向に120度、水平方向に150度ありますが、

子供の視野は、垂直方向に70度、水平方向に90度しかありません。

路上駐車などでさらに視野が狭められていれば、安全を確認して

道路を渡ることなどむしろ至難の業です。

kuruma.jpg

さらに子供の判断能力の限界があります。

スイスの心理学者ピアジェが唱えた「思考発達段階説」によれば

2歳から7歳くらいまでの子供は「前操作期」と呼ばれる段階にあり、

その特徴は「自己中心性」にあります。

「自分が見えているものは他の人にも見えているはず、

自分が知っていることは他の人も知っているはず」という思い込みが

あるそうです。

つまりそれが、道を渡るとき「自分にあのクルマが見えているから、

あのクルマにも自分のことが見えているはず」と思い込んで、

車の陰から飛び出す子供のメカニズムです。

また、子供の脳は複雑な判断ができないので、たとえば直進してくる車と

左折してくる車が同時に来ると、それだけでもうどうしたらいいか

分からなくなってしまいます。

ましてやどちらかに譲られたりしたら、「早くわたらなくちゃ!」と

あせって走り出すか、パニックになって後戻りするか、

いずれにしても事故の危険があります。

交差点.jpg

そもそも色々なことが未熟な子供に現代の複雑な交通ルールを守らせ

自分で安全を確保せよというのが無理な話だ、という考え方があります。

スウェーデンやオランダはすでに1970年代からその考え方に基づき

大規模な交通システムの改革を行い、大きな成果を上げています。

何でも「親のしつけの責任」にされがちな日本でも、こういった流れを

受けて、交通安全教育に力を入れるよりも交通システムの改革をすべきだ

という意見も出てきています。

交通事故は当事者の誰にとっても不幸でしかありません。

ましてやそれが未来ある子供ならなおさらです。

子供に教育するのは親のつとめですが、子供を守るのは大人全体のつとめです。

「子供は予期できない動きをするものである」と、

今一度胸に刻んでハンドルを握りましょう。

参考:

HONDA トラフィック・パートナー 街の子どもたち 


「クルマ社会と子どもたち」(その後):交通沈静化の海外の取り組み

今井博之 著 クルマ社会を問い直す会 発行