Dr.LOUPE Blog_

ドクタールーペスタッフ、ルーペちゃんがお届けする健康と生活にまつわるブログ

ルーペちゃん、恩師の思い出を語る

こんにちは、ルーペちゃんです。
季節の変わり目は体調を崩しがちですが、ルーペちゃんの場合どうなるかというと、ものすごく眠くなります。
この間、家族を送り出した朝8時から二度寝してしまい、13時頃起きたもののトイレに行ってまた寝て、
結局娘が帰ってくる15時半まで寝てしまいました。
自分でもビックリするのが、その後何の支障もなく普通に夜23時から朝までぐっすり眠れたことです。
こんなんでも怒られない、大人っていいな。

ちなみに過去記事を調べてみたら、睡眠についてこんなに書いてました。
色んな意味でよっぽどですね、私。

GWは睡眠負債を返済しよう!
暑い夜に良い睡眠を得るためにあなたができること
あなたを確実に「落とす」、入眠行動モデル
眠気予防のための行動モデル
枕・その黒歴史と夜明け

●ルーペちゃんの大学の恩師の話です

睡眠と言えば思い出すのが、ルーペちゃんのゼミの恩師。
ゼミ名物であった夏合宿では、1週間、とにかく寝ないんです。
口の字に並べたテーブルにぐるっと座って、一人ずつリポーターになって発表し、それについて全員で議論し続け(といってもほとんど先生がしゃべらなければいけない状況でしたが)、それを朝食後すぐから夜中の2時3時まで続けるというもの。
リポーターはどんなに言葉に詰まっても、容赦なくしーんとした時間が続くだけ。
合宿の後半はほとんど頭も回らないのに、順番だけはきっちり回ってくるので本当に苦痛でした。

さらにそろそろ体力的に限界を迎えるという頃、カリキュラムに登山が組み込まれているのです。
登山と言ってもその辺のハイキングレベルではなく、結構本格的な山に登ります。
私のときは乗鞍岳に登りました。
夜中の1時くらいから登り始め、頂上でご来光を拝むのです。
クタクタで下山し、宿にたどり着くと1時間くらいは休憩させてもらえたでしょうか。
でもその後からまた通常通りゼミが始まるのです。

大学の3〜4年と2回参加しましたが、よっぽど肉体的精神的にダメージを受けたのでしょう、3年生のときには合宿後に5円ハゲができてしまいました。

こうやって改めて書いてみると、40年もこんなことを続けてよく死人が出なかったなと思います。
ひとえに先生の気配り目配りが万全であったことのあらわれでしょう。
大学教授という肩書に似合わない、豪放磊落で気さくな方でした。
学生と話すときの一人称は「俺ぁ」二人称は「おめえ」三人称は「きゃつら」でした。
登山とスキューバで鍛えた頑健な身体がご自慢で、よくふくらはぎの太い筋肉を見せては「俺よりおめえらの方がよっぽど年寄りだ」とからかわれました。

ただ、単なる異端児というわけではなく、業界内では知らぬ者のない学者でもありました。
各種委員会審議会に名を連ね、論文執筆も精力的にこなし、それでいて教育者として学生にも十分に時間を割いてくださり、そして登山やスキューバなどで徹底的に遊ぶ。
先生は一体いつ寝ておられるのだろうと誰もが疑問に思いましたが、一度夏合宿に参加すると「・・・なるほど」と納得するのでした。
先生には「人生のうちで一度でも限界を超えた経験をしておけばその後の頑張りどころでちゃんと頑張ることができる」との思惑があったようですが、そもそも先生はそれが”普段の生活”だったわけで、つまりは「ショートスリーパー」だったのでしょう。

日本で一番入るのが難しいとされる大学で二度も金時計を獲得した(=学部と院を首席で卒業。)ことからも分かる、常人には理解しがたい頭脳を持った人でしたが、それプラス「ショートスリーパー」という特異な体質を持っていたとなれば、私のような凡人にはもはやスーパーサイヤ人にしか見えなかったのも無理はありません。

何でも人並み以上だった先生は食欲も人並み以上でしたが、アルコールは一滴も口にしませんでした
体質的に苦手というよりは、アルコールそのものに興味がない様子でしたので、一度尋ねてみたことがありました。
すると「酒は飲んだ後頭がパーになってしばらく使い物にならないから時間がもったいない。(本当はもっと強烈な、いわゆる放送禁止用語で表現されていましたが)」との明快な答えが返ってきました。
起きている時間はとにかく何かに使いたい、という先生の燃焼力の強さを感じました。

身体の頑健さを誇った先生も、ちょうど一年前に永眠なさいました。
とっくに退職なさっていたのに何かと忙しく仕事を続け、短い闘病生活の後あっという間に息を引き取ったとのことでした。
「俺はおめえたちよりよっぽど長生きするぞ」と言っていた先生の訃報に教え子たちはただただ茫然でした。

告別式の会場で私がぼんやり座っていると、先生の奥様がそっと話しかけてくださいました。
持っていた小さなアルバムには、「最後に撮った写真」が収められていました。
それは亡くなるほんの三週間前、どうしてもと請われたとある場所での数時間に及ぶ講義の後に写したものでした。
体力的に限界だったので、息子さんに補助をお願いしていたのだけれど、結局ひとりでね、と。
確かにげっそりとお痩せになってはいるけれど、目は爛々と輝き、生気は失われているようには見えませんでした。

やりきったって顔してるでしょう?
とおっしゃる奥様は笑顔でした。
何が幸せかは人それぞれ、一概にこれとは言えないものですが、
人生の終わりに、長年連れ添った妻からそんな言葉をもらえる人は、たしかに幸せな人であると思います。
私の人生を大きく変えてくださった先生に、改めて感謝と祈りを捧げます。

 >>レントゲン読影サービス Dr.LOUPE<<<