Dr.LOUPE Blog_

ドクタールーペスタッフ、ルーペちゃんがお届けする健康と生活にまつわるブログ

ドクタールーペ顧問・善如寺秀先生

こんにちは、マンションの集積場に粗大ゴミ券を貼らないで

捨てられている「違反ゴミ」を見ると、自分のじゃないのに

なぜかドキドキしてしまうルーペちゃんです。

あと、今にも怒鳴られそうな場所に停めてある車を見ても、

ドキドキします。

人ごとなのに自分がドキドキするこの感じ、

何か名前をつけたい現象です。

さて、先日ルーペちゃんは群馬県の高崎市に行って参りました。

そう、賢明なる読者は覚えておられるでしょうか、

ドクタールーペ読影医のアキコ先生のいる善如寺医院、

それがある場所が高崎です。

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今回高崎に行った目的は、アキコ先生のお父上であり、

ドクタールーペの顧問である善如寺秀先生のインタビューでした。

昭和60年8月12日、群馬県の山中に乗員乗客524人を乗せた日航機が墜落しました。

520人という単独機による航空機事故では世界最多の犠牲者を出した

未曾有の大惨事に、世間は大騒ぎになりました。

しかし、墜落場所となった群馬県の医療関係者たちは、毅然と

自らの使命に従い、次から次へ運ばれるご遺体を前に黙々と

不眠不休の検死・身元特定活動を続けたのでした。

当時、群馬県医師会理事として、520体のご遺体のうち

ほとんどの死体検案書を書いたのが善如寺秀先生です。

520体といっても分断されていたため、書類上は2000体以上

にものぼります。

朝一時間ほど高崎のご自分の病院で診察をすると、すぐに検案現場

(遺体安置所)のある藤岡市に向かい、夜まで作業。

帰宅すると帰りを待っていた患者さんたちを診察、という日々が

12月まで続いたそうです。

報道関係者の目を遮るため窓はすべて黒い布で塞がれ、冷房もない

真夏の体育館。

充満する死臭と40度を超える室温から、体育館の中に入ることすら

できなかった関係者も多いと聞きます。

そんな中で毎日作業を続けた善如寺先生の強靭な体力・精神力には

感嘆せざるをえません。

事故から30年近くたった現在、当時の状況を知る

群馬県の医療関係者はほとんどいなくなってしまいました。

いまや貴重な生き証人となった善如寺先生の体験を残したいと思い、

お話を伺って参りました。

近いうちに、まとまった形でみなさんにご紹介することができればと

思っています。

さて、善如寺先生のお話の中、事故のこと以外で興味深かったのが

医者になったきっかけ」と「勉強法」です。

「旧制中学4年(16歳)のときに、友達に誘われて前橋医学専門学校

(現在の群馬大学医学部)を軽い気持ちで受験することにした。

なぜなら普通は5年生で受けるので、4年で受かるとは思っていなかった。」

それって飛び級

なんという賢さ。

しかもガリ勉でそうなったわけじゃないんですよ。

善如寺先生が子供の頃にお父上が亡くなり、お母上が農業を

営みながら女手一つで5人兄弟を育て上げたという環境ゆえに、

家の手伝いが何より優先されたそうです。

ただいま子育て真っ最中のルーペちゃん、子供の勉強法は非常に

関心があることですので、

「どういう勉強法をされていましたか?」

と興味津々で聞いてみました。

すると、こんな答えが。

夏休み前に教科書を一通り終わらせてしまうことだ

一度やった内容を授業でもう一度なぞるので、「授業が復習」となり、

理解が早く記憶も強固になるそうです。

そういえば七田式教育で有名な七田眞先生の著書にも似たような話が

ありました。

始業式に新しい教科書をもらうとその日のうちに全部の教科書を

ざっと一読して「よし、わかった!」と言って、それ以後100点を

取り続ける子の話です。

予習がポイントってことですかね!

娘よ、今すぐ教科書を出しなさい!