Dr.LOUPE Blog_

ドクタールーペスタッフ、ルーペちゃんがお届けする健康と生活にまつわるブログ

沖縄で「ただただ、単純に人に親切にすること」を考える

こんにちは、いまさらながらスマップ・中居くんの話術に感銘を受けたルーペちゃんです。
清原和博さんが出演して注目された先週の「金スマ」。
いくつかの疑惑・問題が報道されている清原氏相手、やはり色々と配慮することがあるようで、遠~くからふわ~っとした質問を投げかけることが多かったように感じました。そんな番組中、清原氏の最近についての会話の中で中居くんがこう聞いたんです。

今何してる時が楽しいですか?
要は「テレビにも出ず仕事もせず、ヒマでしょう。毎日何をしているんですか。」と聞きたいところなんです。
それを「毎日何してるんですか」って聞くと、相手は「ヒマでしょう」と侮られた気分になり、人に話したくないであろう自分のネガティブな行動ばかりが思い出されて、口を開きづらくなります。

そこを「何をしていると楽しいか」と聞くと、不遇の中でもその人が一筋の光のように思っている事柄が思い浮かびます。
実際清原氏は初めて表情を緩ませて「子供の野球する姿を観ること」と答えました。
何気ない軽い会話の中から、その人の「生きる希望になっているもの」を語らせたんです。中居くんてすごい。

●何も決めない、何もしないはずだったのに

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さて今回もなんやらワケの分からない題名がついてるなーとお思いでしょうが、ちょっと語らせてください。
今回の沖縄旅行は、「友人の家兼カフェを見に行くため」と理由をつけていましたが、本当は違うんです。
小さからぬ悩みを抱え日々悶々としていた私は、半ばやけっぱちな感じで発作的に沖縄旅行を予約したのでした。(それに付き合わされた娘には本当に申し訳ないのですが・・・)

ジェットスターのメールマガジンの広告が沖縄で幸いでした。
もしそれがオーストラリアだったらオーストラリアまで出かけていたでしょう。
「友人に会う」と後付けで理由を見つけたものの、それほど積極的に旅程を組み立てる気にもなれず、「ホテルにプールがついてるから子供はずっと泳がせとけばいいや」と沖縄では何もしないつもりで出かけました。

●Oさん一家との出会い

沖縄に着くと当初の予定通りホテルのプールに直行し、娘をひたすら水に浸けて泳がせ、自分はプールサイドでボーっとしていました。
しばらくすると人懐っこい娘が同じくらいの歳の女の子と意気投合したようで、その子と遊び始めました。
いつものことなのでぼーっと見ていたら2時間以上もそのまま遊び続けているのです。
その子のお父さんも一緒に遊んでくれていたので、さすがに知らん顔はできないと思い「お世話になっています」と挨拶に行きました。それがOさん一家との出会いでした。

●最初は警戒心マックス

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Oさんとしばらく話をするうち、「子供同士があんなに仲良くなっているから、よかったら明日一緒に観光しないか」と言われました。
翌日は友人に案内してもらうことになっていると伝えると、「じゃあ明日の夕飯を一緒に」と誘って下さったので、それくらいならとお受けしました。

実はこのときまでは、旅先で知らない人と同行することにかなり警戒していたんです。
最初は愛想よく親切にして警戒心を解くというのは、その筋の方たちの常套手段だというし。
しかも(金色の喜平のネックレスとブレスレットをつけた)Oさんは自己紹介で「広島で自営業をやっている」と言うのです。
私の警戒心は一気にレッドゾーンに達し、頭の中では「チャララ~チャララ~」と故菅原文太主演の有名な映画のテーマ曲がひっきりなしに流れていたのでした。(広島の自営業の皆さん、申し訳ありません)

ただ、Oさんご一家の柔らかい雰囲気と、自分の子供が見ている前で悪いことはしないだろうという望みがありました。そしてよく考えれば、そもそも私がお金を持っているようには絶対に見えないこと、何かをたくらまれるほど若くも美しくもないということを思い出しました。
それでも「絶対におごってもらったりして借りは作らないでおこう」と心に決めて夕飯に同席しました。

●親切すぎるOさん一家

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一緒にご飯を食べた2時間ほどの間で、このOさん一家が極めて善良で親切な人たちということが分かりました。
陽気で子煩悩な旦那さんにしっかり者でお酒好きの奥さん、上手にふたりのバランスを取るちょっと大人びた娘さん。
色々と共通点も見つかり、一人っ子家庭同士の悩みも語り合い、すっかり意気投合したところで「翌日の観光はぜひ一緒に」と言われ、今度は二つ返事でお願いしました。

前回「沖縄ベテランリピーター」と書いたのがOさんで、「サータアンダギーをくれたタクシー運転手さん」がOさんがいつもチャーターする「やまちゃん」なのです
このやまちゃんという人も非常に不思議な人で、観光案内が完璧なのは当然ですが、歴史の話などでもたくさんの数字や名前を驚くほど正確に話してくれます。沖縄の人特有のゆったりとしたしゃべり方を別にすれば、内容はタクシーの観光案内というよりも大学の講義を聞いているようでした。
また、突然「知り合いの祈祷師が祈祷してくれた塩が入った人形、お守りさぁ」とくれたり。
私たちの日常生活で「祈祷師」って単語、出てきませんよね。

Oさんはとにかくサービス精神の塊のような方でした。
自分たちは何度も来ているから、と私たちの観光を優先し、「あれも見せたいあれも食べさせたい」と飛行機の時間までの半日にパンパンに観光を詰めこんでやまちゃんにリクエストしてくれました。
そしてやまちゃんの完璧なアテンドのおかげで、「市場・繁華街・船・伝統舞踊・漁港で食べる刺身」が盛り込まれた充実した半日になり、ピッタリの時間に空港まで送ってもらい、涙ながらのお別れをしたのでした。

●周囲に愛されていることを思い出す

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親切にされると「裏があるんじゃないか」と警戒し、「何かあったらどうしよう」と恐れて結局何もしない。そんな自分の日常がすべてひっくり返った旅でした。

見返りとか借りとか恩とか、つまらないことを気にせず「ただただ、単純に人に親切にする」ことができる人たちに出会ったおかげで、クヨクヨモジモジしてばかりの自分の姿が見えてきただけでなく、今まで人にお世話になったことや優しくしてもらったことが次々と思い出されました。

私が母親だからでしょうか、子どもや家庭を愛することばかりに懸命になってしまって、自分が愛されていることを忘れていたような気がします。
自分が愛されていること、大事にされていることを思い出すと、なんだか心がふっと軽くなりました。
不幸の井戸のどん底にうずくまっていた自分に、「そこから出ておいで、世の中悪いことばかりじゃないよ」と言ってもらえたような気がしました。

普段、どちらかというと旅行ギライで家にいるのが大好きな私が珍しく自発的に出かけた旅でしたが、今の私に必要なプロセスであったことは間違いありません。
ふと、学生の頃に読んだ三木清の文章の一節を思い出したので読み返してみたらまさに今の私にぴったりなことが書いてあり、多様な人生に普遍的なものを見つける哲学の役割に改めて膝を打った次第。

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旅について
旅の利益は單に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、――全く新しいといひ得るものが世の中にあるであらうか――むしろ平素自明のもの、既知のもののやうに考へてゐたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。

旅は人生の姿である。旅において我々は日常的なものから離れ、そして純粹に觀想的になることによつて、平生は何か自明のもの、既知のものの如く前提されてゐた人生に對して新たな感情を持つのである。旅は我々に人生を味はさせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客觀的な遠さや近さや運動に關係するものでないことを述べてきた。旅において出會ふのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出會ふのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。
                                    三木清「人生論ノート」より

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